音声アシスタントや動画ストリーミングサービスなど、人工知能(AI)を利用したアプリケーションは、家庭だけでなく産業界でも数多く見られるようになっています。しかし、AIとはいったい何なのでしょうか? 今後、人々のためにどんな役割を果たすのでしょうか?
現時点で、AIで解決できない問題はないようにも思えます。チェスや囲碁でトッププロと互角の勝負をしたり、音声アシスタント機能でユーザーの質問に答えたり、マーケティングや小売業の分野で対象を絞った効果的なキャンペーンを立案するなど、AIシステムはさまざまな分野で活躍を見せています。
とはいえ、AIとは正確にいうと何なのでしょうか? 実は、AIとはコンピュータ科学の一分野で、知性のある人間の行動を機械的な装置にどのように応用できるかを探る研究分野なのです。
人間の行動を機械に応用することを可能にするには、機械は人間と同等の知的な行動ができなければなりません。それができるかどうかを判定するのが、「チューリングテスト」と呼ばれる試験です。このテストは1950年に、近代コンピュータ科学の父といわれるアラン チューリング氏によって考案されました。人間の評価者が試験対象の人間と機械を、聴覚と視覚を通じた接触を伴わずにインタビューするという方式をとります。試験対象はどちらも、自分が思考する人間であることを評価者に納得させようとします。どちらが人間でどちらが機械かを評価者が確信をもって判断できなければ、その機械は人間と同等の知能を持つとみなされ、テストに合格したことになります。
現在、チューリングテストが利用されている一例は、スパムメールを検知し拒否するシステムです。ウェブサイトでは、CAPTCHA(「コンピュータと人間を区別するための完全に自動化された公開チューリングテスト」の略)という手法がよく用いられています。例えば、サイトの利用者に、画像から簡単な数式を読み取って計算し、答えを解答欄に入力するように求めるものなどです。このような作業には、人間は難なく対処できるのが普通ですが、AIはだいたい対処できません。なぜなら、いくつもの人間の行動パターンをシミュレーションしなければならないからです。マウスの動きやクリック、キーボード操作などを、本物らしい遅れやずれも含めて再現することは、AIの一形態である「ボット」にはできないのが普通です。
その結果、ボットは概してウェブサイトへのアクセスを拒否されます。そのため、広告の目的でメールアドレスなどのユーザーデータを取得することはできないのです。
AIの歴史から見えてくることは、ほかにもあります。その発達の経緯をよく見ると、あらゆる要素を含む一つのAIなどというものはないことがわかります。AIとはむしろ、さまざまな手法や技術の集まりであり、それらが互いに密接に関係し合い、つながり合っているのです。
最もよく知られた技術や手法は、マシンラーニングとディープラーニングの二つです。ディープラーニングはマシンラーニングの下位区分ともいえます。
AIには広範囲の用途があります。その応用分野は、キャッシュレス決済から各種のセキュリティ対策や工業生産までに広がっています。
AIの用途の一例は、顔認識です。今、顔認識は、私たちの日常生活の中に急速に広まりつつあります。ほとんどの人は考えもしないでしょうが、AIがなければ、スマートフォンのロックを、カメラを使って解除するという発想は生まれなかったでしょう。持ち主の顔を認識してロック解除するというプロセスは、人間には何でもないことのように思えます。しかし、機械がこれを行うためには、最初に大量の仕事をしなければなりません。その理由を説明しましょう。顔認識では、そのときのカメラの映像を既存の写真の特徴と比較するのではなく、大量の画像から計算モデルを構築します。このモデルを使うことで、明るさが異なる場所や、持ち主がメガネをかけているといった難しい条件のもとでも、持ち主の顔を認識できるのです。
保険業界は、AIの開発に熱心に取り組む業界の一つです。チューリッヒ保険グループは、保険金請求処理業務の一部として通常案件の処理にAIを導入し、人件費を大幅に削減しました。経験豊富な請求処理担当者でも1つの案件につき52分かかるところ、自己学習ソフトウェアならわずか5分で処理できます。
保険業界でのもう一つの応用分野は、詐欺検知です。顧客の保険金請求の妥当性をAIでチェックするのです。過去の詐欺パターンとの比較をAIがしてくれるので、請求処理担当者は面倒な作業から解放されます。
自動車保険では、使用量に応じて保険料が変わる従量制保険料がすでに導入され始めています。車についたセンサーが収集する大量のテレマティクスデータ(移動体通信で送信されるデータ)に基づいて、保険料が決められます。走行距離とドライバーの運転習慣に応じて、個別のリスクプロファイルが生成されます。このような大量のデータをAIなしで解析するというのは、想像しにくいことです。
小売店や介護施設に人間の形をしたロボット「ヒューマノイド」が活用されている事例は、今はまだ例外的です。コストの上昇や介護スタッフの不足を考慮すれば、将来的には、病気の人や高齢者の介護現場でこの種のロボットの利用が増えることが考えられます。
AIは、介護対象者と会話や身ぶりで意思疎通するための基盤を構築します。最大の課題は、顔の表情や声の調子から相手の感情を正しく読み取ることです。それが確実にできるようになって初めて、ヒューマノイドは人間に適切に対応できるようになります。用途に見合った解決策を探る研究が、現在進められています。
生産現場や倉庫では、何十年も前から人間はロボットと一緒に働いてきました。協働ロボット(コボット)は、同じ動きを何度でも、疲れることなく繰り返すことができます。コボットは生産工程で人間の作業員と一緒に働けるようになり、従来の産業用ロボットのように保護設備を設置して人間から隔離する必要はなくなりました。また、コボットは産業用ロボットに比べると小型で、より柔軟な使い方ができ、プログラムのしかたも簡単です。
一例をあげると、AIを利用した画像検知システムを備えたロボットは、受注した商品を迅速に発送することができます。アメリカでは、野菜や果物の鮮度を判定し、あらかじめ決められた品質要件に適合する品物だけを発送するコボットが試験的に運用されています。
小売業界や宅配便業界では、オンラインで受注した商品をできるだけ早く配送するため、一層の効率アップが求められています。このため、倉庫の中を走る自律型車両は日常的に見られる光景になりつつあります。AIはこうした車両が安全に走行するだけでなく、自力で最速、最短のルートを選択できるように支援しています。
AIは単純な作業をより速く済ませることで、私たちの生活を便利にしてくれます。けれども、AIの開発は物議を醸す議論の的にもなっています。
顔認識は便利ですし、決済承認に生体認証を使えば、暗証番号を入力するよりセキュリティが高まります。しかし、取引データが1カ所に集められれば、消費者の行動が丸見えになってしまいます。消費者にとっては、保存されたデータが他の目的に利用されたり、別の情報と統合されたりすることはないと信用できることが不可欠です。
「知能」を持つ機械が人間のしていた仕事を次々と引き受けてくれるとしたら、そのような未来には人間の雇用が脅かされるのではないかという疑念が浮上しています。結局のところ、確実なことは一つだけ――それは、AIは仕事の世界を大きく変革するだろうということです。このことは今や、管理やマーケティングといった、AIの影響は受けないと考えられていた職業にも当てはまります。将来的には、こうした分野でも定型的な業務はAIが担うことになるでしょう。数値を読み解いて、重要なポイントを導き出すといった時間のかかる退屈な作業は、AIが引き受けてくれるようになります。
とはいえ、人間の仕事から単純作業がなくなる一方で、人間が取り組むべき新しい課題や機会、そして新しい職業も生まれてくるはずです。いずれにしても、AIに解決してもらいたい疑問や課題があって初めて事が動き出すのであり、まず人間がそうした疑問や課題を明確にしなければなりません。したがって、AIが人間の創造力に取って代わることはないでしょう。仕事の世界において今後最も起こる可能性の高いシナリオは、AIが私たちを危険な仕事や単純作業から解放してくれるということです。
更新:2019年8月